木と金属と石油

二次元系とか楽器とか、昔に取り残された今世代のボヤキ。

エロゲオタなのを終わりにしようと思って。

どうもお久しぶりです。気がつけばもう今年も終わりが見えてきて…早いしやっとられませんねぇ。とまぁそんなわけで。

 


気がつけば収納の中にぶっ積んだ美少女ゲーム、まぁエロゲ。最後にディスク読み込んだのはいつだっけ?最後までシナリオ読んだのは…?多分「ノラと皇女と野良猫ハート」かな。昔は良くまぁ飽きずにクリックできたもんだな。「ヨスガノソラ」「グリザイアの果実」「この大空に翼をひろげて」etc…。なんで読み進められたんですかね、あの頃。気がつけばゲームを立ち上げるどころか箱邪魔だなぁ…ぶっちゃけ処分しちゃうか…?なんて考える最近。とはいえ個人的にエロゲなんてあの無駄に箱だけ豪華なパッケージが全てでしょ?なんて古い考えの僕は結局捨てられないまま積むんでしょうね。

 


美少女ゲーム、いやアダルトゲーム。そりゃもうゲームの本質はエロでヌいてなんぼなんでしょう。本質そこだろと言われたら確かにそうですね、としか。とはいえ言われるまではそう認識はしていませんでしたね。あーやっぱり僕はエロゲにストーリー求めてたんだなぁと。あーなんでこんなこと書いてるんだろうな。

 


とまぁ1週間ほど騒がれてる温泉のキャラクター達の話、出す場所云々の話は…もはや毎度毎度で何回目だよって感じです。それはそれとして。そしてPVも作られていたようでとりあえず見てみたものの…。

 


正直に言ってエロゲのオープニングの方がよっぽどいいっす。

 


いや、このPV、エロゲのオープニングですよ、内容。でもね…

 


俺だったらこのエロゲ買わないわ。

 


エロゲ買うのに諭吉が一枚飛んでくんですよ?その金出して買う価値を僕は見いだせない。いやエロゲじゃないんだけれども温泉旅行は諭吉一枚じゃ上がらないんですわ。

 

まぁ…ぶっちゃけミドルプライスのエロゲの「オトメ・ドメイン」の方が遥かにいいというか…その作品に失礼というか…。

 


真面目に言うと、舞台背景とかも察せないんですよね。「穢翼のユースティア」とかだと街の猥雑とした雰囲気と崩壊していく様とかこのストーリーは何が起きるんだ?っていう興味を刺激されるけどそういうのも…ない。

 


こうその…なんというかさ。今はこういうのが流行りなんですかね…。こういうのがいいんですかね…。なんと言いますかね。

自分がエロゲ出来なくなったのってそこだったのかな…。っていうのを少し考えちゃいますね。僕は。

 


これが表でやるようなのがいれば、今まであげてきたエロゲがわざわざ18禁を守ってるだけ損でしかないよなぁ。ぶっちゃけて言えば、ソフトなエロを楽しむオタクがわざわざエロゲで男性器描かれたSEXが見たい!って言うとは思えないんですよねぇ…。だって好きなの女体でしょ?と思う訳でして。そういう方向に進化していった萌ゲーってのはあぁ滅びていくんだろうなぁ…と。

 


皮肉なもんだね。きっと残るのはそういうものを楽しめる層なんだろうね。そしたらきっと「創る」ものじゃなくなっちゃうんだろうな…。

 


なんだかね…。というため息混じりな感情をまとめることもなくつらつら書きたくなりましたとさ。ちゃんちゃん。

 


好きな作品は胸にしまって、そろそろ僕もオタクをやめる時かもね。

支えてるって言うけどさ、それ、持続可能?

あー…どうもお久しぶりです。いやもう一年放置ですよすみません。スマホのメモ帳にぽちぽち書いてみたりしたもののうまくいかず…ずるずるとこんな感じに。そんな間にもまぁエロ要素を公におっ広げて問題になる、という話には事欠かず。いつになったら常識破りと非常識の区別がつくようになるのかな…本当に、と思います。

 

そんなこんなで本題。まぁ発端一応今も話題に上がるラブライブ!とJAなんすんがコラボレーションして売り出したみかんの話です。もう2年前ですかね。とはいえTwitterをプラプラしてればあの時のまま、いやもっと拗らせたオタクたちを今もいっぱい目にするわけですけれど。いやぁ、このコロナ禍でもそのスタンスでいれるとは上客のオタクさんたちはちがいますなぁ。僕は反吐が出ます。

 

いえね、別に話題になったスカートの皺の表現が公共の場に出すのに適切か否かっていう点について書きたいじゃないんですよ。別にその皺が今でも適切だと思ってるなら僕の考えとはともかく主張すればいいんじゃないですかね。僕は批判しますけど。まぁでも一旦それは横に置いて、教えちゃくれませんかね。そのスカートの皺表現にこだわってら貴方に訊きたいんですけどね、

 

「スカートの皺見てんの?それともみかん見てるの?」

 

って。

あ、伝わりづらいですかね。丁寧に書きますね。

 

スカートの皺表現へのこだわりは結構。でもね、コラボの商品について、中身の商品そっちのけでパッケージのスカートの皺について皺の正当性を声高に訴える貴方は、その商品なんか知ったこっちゃねえけどラブライブ!のコラボだから買った、って言ってるのに等しい。それは生産者を馬鹿にしてるにも程があるぞ。

 

って事です。

 

主体は果物でしょ?この場合は。そこの生産地の果物だから買うんじゃないの?あ、違う、好きな萌絵がパッケージにあるから、ふーんですよ。

 

嫌味が過ぎましたかね。

でもね、思うんですよ。どう考えてもね、そんなところスカートの皺がある事にこだわって、それがなきゃダメなんだってな事を言ってるのを見てね、思うんですよ。

 

生産者の顔なんか見てねえな。

俺が生産者だったらやだな、それ。

 

ってね。

 

まあでも農家でもないくせにうっせえよ、と思われるんでしょうね。まあいいですけど。でも、少し考えてみてくださいよそういった一部コラボ商品、次世代にどうやってつなぐんですか?

 

新しく若いオタク引き込むのが一番かもしれませんけどね。

 

でも今ですら商品が「コラボだから」を隠さない、いや、もっと直接的に言いますが、商品そのものをそっちのけでスカートの皺がないとダメなんだと語りだす連中が連れてくる「次世代」を「お客様」として「おもてなし」しろってんですかね?

 

馬鹿にするのもほどほどにしろ。まあ、大元の件でも箱はバストアップだったなぁそぉいや。

 

ちょっと考えればわかると思うんですけどね。普段からニワカかそうでないかは区別できる、とか、オタク文化へのリスペクトって言ってるんだしさ。コラボ商品であってもオタクが買い支えてくれてるからオタクに合わせるのが正しいなんて思ってる(行動に出てるけどね)なら、そりゃ出す側への敬意が足りてないよ。ま、「リスペクト」「敬意」のニュアンスの違い・・・伝わんないだろうなぁ。

 

実はここでこの文章止めようかな・・・と結構思うんだけど、ふぅ。

 

もう完全に忘れられてると思うんですけれど、みかんの件とは全く別でね、Twitterでネタにして遊ばれてた「じまんこコンクール」の話を覚えてますかね。

 

このJAはJA秋田ふるさとなんですけれど。まあ、JAなんすんの件と騒いでた層が完全にかぶるわけではないけれども。Twitterでネタにされてたし、やってることはかぶるんだよね。

 

ちゃかすなよ。ほんとに。同時にああいった企画が誰に一番向けて行われてるのか考えろと。

 

子供たちだよ。地域内外の差はあれど、生産者と消費者の交流とそこにいる子供という次世代に引き継ぐ為にあるんだよ。双方で信頼関係を築くからこそ持続可能になっていくんだよ。少なくともそういったJAの人たちは今コラボで注目されていたとしても、コラボ、なんて言われるようになる前からそういった信頼関係を築く努力をしてきているよ。

 

オタクが支えてる、とか単なる幻想だから。

 

ちなみにJA秋田ふるさとの商品ラベルは「釣りキチ三平」なんだよな。それらを選んで買う消費者にとっての釣りキチ三平は、「ラベルに釣りキチ三平がいるから買う」じゃなくて、「釣りキチ三平ラベルはJA秋田ふるさとだから買う」って意味になるね。

 

そんなわけで、僕はオタクだけど・・・仮に販促等について訊かれても~作品とコラボしてオタクに呼びかけましょう!とは言わないね。恥ずかしいよ。

 

ふう、コラボついでにもう一つ書いとこうかな。

 

所謂アニメの聖地巡礼も、コラボの農作物を購入するのも、その場所の人たちの仕事なり生活そのものなりの生活基盤に触れたり踏み込んだりする、という点において「フィールドワークと同じである」という事を、勿論僕含めオタクは意識しなければいけない。また、現代においてそれらはネット空間も含まれることがある、とね。

 

もう言われてる気しかしないけれども、

 

「バカオタなら腐るほど来るぞ」

 

と言われないように、ね。

 

 

それじゃ。

 

www.amazon.co.jp

 

P.S 農家が高齢化していることを考えたら、ラブライブ!のキャラは孫娘かもしれないよね。

 

 

オタクってなんだっけ?※1

1.他者を傷つける事しか言えないのなら喋るな※2


ペンを握るのが辛くなった。絵を描くのが嫌いになったわけじゃない。こんな絵を描きたい、筆を握りたい、というイメージは湧くし、深夜寝付けない布団の中で突発的に絵を描きたくなる。しかしペンを持てない。持てるのは仕事中だ。気がついたらベースもギターもネックを握った記憶がなかった。

規模は小さいながらもTwitterが炎上した。


小さいとはいえ確実に200以上のアカウントが引用含め絡んできた。一度200まで数えてやめた。数えたのは2波の時で1波目まで遡る気力はなかった。


気がついたらとりあえずほぼほぼ全部一言ずつは返していたけど、落ち着いたらこんな調子。マジでそっとじできるって普段自分から言ったんならしろよ。おかげで自分の過去ツイートを遡ると疲弊する。フォロワーが1000もいかないTwitterの片隅のアカウントでこれ。被害や考えをきっちり表明して、訴え続ける伊藤詩織さんや石川優美さんの比ではない小ささだけど、それでも人間の心を壊すのに十分、というレベルを遥かに超える。去年の年末の自分だったら壊れていた。仮に上手く行った後(うまくいかない社会は非常にまずいが)彼女のような人達の心が壊れてしまわないか、本当に心配になる。


だから思う。他者を傷つける事しか言えないのなら喋るな。それは、黙れ、ではない。人を傷つけるような発言をやめろ、だ。それをしなきゃ話す自由と権利は当然あるし、止められるべきではない。


傷つけないなんてのは無理なんだ。生きているだけで、きっと誰かを傷つける、※3って?


そうかもしれない。でも、誰かを傷つける事のないように意識する事はできるだろ。そういう話だ。


2.路上駐車をしないのは、駐禁のマークがあるからじゃない※4


落ち着いた、とは書いたけれども、消費の対象から外れただけだ。事態が何か変わったわけではない。なんの事はない、彼等が飽きただけだ。


元になったツイートは複数あるがだいたいこの二つ。原文をそのまま載せておく。


「俺がエロゲをプレイしてもエロ同人誌で自慰をしても「オタク達のいうフェミニスト」側から何も言われないのは、たまたま自分が恵まれてるからでも、フェミニスト側の人から特別扱いで見逃されてる訳でもなくて、現実とフィクションの区別がついていて、部屋の外でやらないからなんですわ。」

 

「一言だけ。
公私の区別をつけて楽しむ、そうでないものに対してそれはおかしいと言う。それはオタクとしてだけでなく自分の為でもあります。看板やポップの胸や尻、あれだけやらかしたオタク界隈に於いて、公私の区別と分別がついている事を言葉と行動で示さない者に楽しむ権利を社会は与えません。」


絡んで来たのは一つ目のツイートの1、2人を除いてオタクばかりだった。1、2人のうちの1人は、「エロゲという性的虐待がデフォルトのゲームをやっている時点でやばい」と言ったけれども、それに対して、(エロゲが性的虐待がデフォかは別として)「外に出さないという話であって、私空間でやる分には個人の自由の範疇」と言ってくれたのは、公私の区別が付いているまともな(オタクの)人と、フェミニストを自称、さらにはミサンドリストまで名乗ってる人だった。絡んできたオタク達は、

 


「オタクは表現の自由を行使しているだけ。フェミ(彼等はフェミニストフェミニズム寄りの人に対して蔑称のように使用している事が多い)が燃やした」


Twitterが公共の場www」


「萌えはすでにメインカルチャーだから社会と共存している」


「やったのはオタクじゃなくて企業だ。オタクが経済回してるんだからとやかく言うな」


「フェミに後ろから刺されてて草。今どんな気持ち?」


「ブーメラン投擲会場と聞いて!」


「ならお前のアイコンも性的だから禁止だ」


等々。


表現の自由、守る気ないだろ。


僕をフェミニストの女性と勘違いしたのか、献血ポスターの時に炎上した宇崎ちゃんの画像と一緒に「これでシコった。気持ちいい」と絡んでくる奴もいた。宇崎ちゃんアイコンで。それ、リアルでやったら露出狂だ、とは想像できないんだろうな。にしても、Twitterだろうと初対面の人間にやる事じゃないよね、くらいも思わなかったのか。そしてそれを止める奴もいない。


表現の自由だと言う。じゃあ教えてほしい。


アキバに掲示されたおっぱいだらけのエロゲの看板やスカートをたくし上げて下着を見せる女性のイラスト、僕を含めた男オタクの求める「おっぱいが見たい」や「スカートめくってパンツ見せて欲しい」なんて言う欲求を満たす為(それだけとは言わない)の物を18禁でやれるにも関わらず全年齢の公共の場、ましてや近くに幼稚園や小学校のあるような場所に出さなきゃいけない理由はなんですか?仮に、アキバのメイドカフェの呼び込みのメイドさん(店員さん)に、


「パンツ見せて欲しい」


って言ったらど直球のセクハラで、会社なら懲戒解雇になってもおかしくないぞ?メイドさんはそれ含めて仕事なんて言うなよ?そんなものはペイのなかにゃ入ってない。セクハラはノータッチ!物理的に手を出しているわけじゃない、だからOK!なんて通らねぇよ。普段仕事してる社員の時はセクハラ禁止で、客の時はセクハラOK!な理屈はねぇ。


それらを18禁でやったら表現する事の自由は失われますか?丁寧に言えば、それらが18禁というフィールドがあるにも関わらず、小学生以下から老人まで老若男女が対象となる全年齢の場で、出さなければいけない必然性はなんですか?俺ら男オタクのオカズを全年齢にしなきゃ表現の自由が守れないなら、18禁は表現の自由が損なわれている事になるけど、18禁においてそれ以上のエログロが許容されてる現状をどう認識していますか?

 

別に描写だけであればものによっては18禁ではない。だから出していいと言うかもしれない。でも15禁くらいだよ。純愛もののエロゲがコンシューマー化されてエロシーンが消えて、下着等々の描写がかなり制限されてもセロCかDだよ。駅や路上はセロAじゃなきゃまずくね?っていう程度の認識もないの?本当に小さい子から老人まで使う場所なんだけど?


そういえば、オタクは社会と共存してる!だから問題ないんだ!と言ってきた有名らしい?アカウントがいた。漫画家、らしい。彼の作品がラッピング電車になったんだっけか?送り付けられたラッピング電車の画像は彼の作品のコラボかな?


共存してた、共存できているとして、それは何をやってもいい免罪符にはならないよ、と繰り返し言ったけれども理解されなかったらしい。過去の実績があれどまずいもんはまずい。だからこれまでの活動が評価されていようと、某写真家が相手の女性にした事は免責されない。


ただ、彼の作品のコラボに問題があって炎上したわけではない。だからそのまま共存できたコラボとして胸を張ればいい。もっと言ってしまえば、彼の作品のコラボは萌えキャラと社会の共存のモデルになりうるかもしれない。


そういったコラボをやる分には言われない。にも関わらず老若男女問わず利用する場でスカートたくし上げ、おっぱい&尻パッド。オタク達は公私の区別がついているから路上や公共の場でオナニーしないと言う。だからこそ訊きたい。


「俺ら男オタクのオナネタを、老若男女誰もが利用する公共の場でオナニーしないのに開陳しなきゃいけない必然性はなんだよ?」 


と。

 

 


3.嫌な事をされれば傷つくし、理不尽な事をされれば怒りも湧く※5


最初のツイートのような事を言うと、必ず来るのが、「フェミがマニアックなAVだのを持ち出してきた」という。それは表現の自由の話じゃない。それ以前の話だ。


AV女優側が、身体に物凄い負担がかかる、負傷するレベルのプレイを、経済的余裕などから、要求されても断れないような状況があるから問題になっている。どんな仕事であれ、身体や心を壊してまで(傷つけてまで)やる仕事はない。それを経済的理由や会社との力関係を利用してやらせている(女優側が断れない)現状があるからだ。会社の利益等の為に、1人の人間の身体と心を犠牲にしている側面が生じているからだ。全てが全てそうではないのかもしれないが、それ理由にその状態を無視していい訳がない。


AVであれ、エロゲキャラのCVであれ、女優さんや声優さんが、


「この内容とギャラなら、まぁやってもいいかな」


と思えるところが本当に最低ラインだろう。立場の上下や、経済的理由からそう思わざるを得ない状況をわかっててやる奴は下衆だ。


この話の時、ananのセックス特集で男性俳優も嫌だったがやらされた、という話を君達は持ち出すかもしれない。だからはっきりと書いておく。


男女関係なくどっちも問題だ。まずいに決まっている。


だからこそ、セックスそのものや性暴力そのものである物において、強要は問題の度合いがさらに深刻になる。そして、何故それらの問題に於いて女性が話題に上がる事が多いのかは、これまでがあるからだ。


女性が消費される側にいて、男性が消費する側だったから、そして女性と男性の扱い(待遇)に明らかな差があったから。


過去自分がいた会社でも、本社工場ではない地方の工場では圧倒的に高卒の女性を採用していた。


「(先先代の)社長が社員女性の尻を撫でて、悲鳴が始業ベルがわりだった」


という話や、


「社員旅行の時は女性社員が皆ビールを持って男性社員に注いで回る」


があった。


僕自身も、その地方の工場に研修で出張する時、直属の上司から、


「向こう(その工場)は若い女の子多いから遊んで来なよ」


と言われた。それくらいあからさまだった。場所によっては今でも。もしかしたら今でも、ではなく今も過半数、かもしれない。


待遇面で言うなら、「逃げ恥」が流行っていた時、昔東京にマンションを借りていた父と母に訊いた。2人は家賃を折半していたのか?と。2人は、


「当時は男性と女性ですごく給料に差があった。その差の上で折半するのは不平等だ。だからお互いの給料を見た上で比率を決めた」


と。それぐらいごくごく当たり前に格差があって、この社会はそのまま来てしまった。まぁ、ここに関しては国が放置した、ないしはまともに取り組んで来なかった、とも言えるけど。だから、格差の強いより弱い側を無くして平らにすると言う事は、逆転させると言う事じゃない。低い位置から上げる事で、全員を同じにする、より弱い立場にいる人を対等にする事で男女関係なく意思を尊重できるようにしよう、という話だ。全員だから、当然男性も含まれている。


オタク界隈の話に戻す。ananが話題になった時、僕はTwitterでこうツイートしていた。


「ananに出ている男性にはマネージャーに説得されて出たくなかった人もいる、という話、当然それはしてはいけない話。それと同時に男オタクの僕としては、アダルトゲームの声優さんの藤崎ウサさんのWikiの文章を思い出してしまうんだよな。僕らが楽しんでいるオタク界隈での話なのですけどね。」


藤崎ウサさんのWikipediaのページには、こう書かれている。


(以下引用)
デビュー後初めて演じたエッチシーンでは、最初台本を読んだ時に「こんなのできない」と泣いてしまったという。事務所の社長からは「通る道だから」と諭されマネージャーからも勉強のためにと18禁のアニメを渡されたが、遠巻きに観たりエッチシーンの前に一時停止したりとなかなか正視することもできないぐらい苦手だったとのこと
(引用終わり)


Wikipediaの信憑性について疑問がある事は確かだ。これが本当かまでは知らない。ただ、これまでのこの社会を考えれば、アダルトゲーム界隈においてこんな事が他にも多数あってもなんら不思議ではない。なんなら深夜アニメ等でもそれがあってもおかしくない、というくらい、想像はつかないだろうか?


実際の行為を伴わない分だけ嫌悪感は少ないかもしれない。でも、この漫画のこのキャラは好きだけれども、この描写やだなぁ、普段のキャラ演じるのは楽しいけど、このエッチな所は演じたくない、嫌だな、は普通にありうる。今では深夜アニメでもおっぱいパンチラ赤面シーンはいっぱいある。エロゲは言うまでもない。程度の差こそあれ、萌え界隈に存在する(エロゲ含む)ゲーム、アニメ等々に於いて、AVの強要と同じ性質の問題が存在する(可能性)事を俺ら消費者側のオタクは認識すべきだ。二次元だから被害者はいない、三次元のリアルな女体を消費していない俺らオタクは無害で誠実で優しい、なんて思い上がりだ。


4.ロビンフットがいねぇなら、ロビンフットになればいい※6


オタク界隈にいると嘲笑をぶつけてくる彼等が苦しめられてきたとか差別されてきたとか虐められてきたとかを耳にする事は多々ある。オタク界隈の某アルファアカウントなんかが代表例だろう。僕も同じだったりする。どんな事があったかは書かないけれども、担任らが朝一に学年集会をして問題に上がるくらいではあった。だからそれらがどれほどキツいものかはよく知っている。


だけど、今のオタクがやっているのは暴力の再生産だ。


前に書いたように、君らが苦しんで来た事、虐められてきた事をもって、別の他者を嘲笑したりする事は正当化されない。


それとは別に、DVも再生産されてしまう事が多い事を付け加えておく。


だからこそ時々聞くこの言葉は間違っている、と言える。


「傷ついた数だけ優しくなれる」


これは正しくない。当のオタク達が行動をもって証明している。


僕もこの言葉を知っている。僕の場合、1番に思い浮かぶのはfripSideHeaven is a Place on Earthだ。好きな曲の一つでもある。でもこの言葉は正しくない。だが、歌詞としてわかる。


「最後に笑うのはきっと、真面目でひたむきな奴だから」※7


そう信じてやってきた綾崎颯がそれを投げ捨てかけたのを助けられて、またそれを信じてまっすぐ進む事を選べたからだ。


誰だって心は脆い、すぐに壊れる。そして元に戻らない。そしてガラスのハートなんて言うけれど、割れたら溶かして型にはめて元通り、なんて事はない。できたとして、セロテープでぐるぐる巻きにするくらいだ。


だからこそ


「傷ついた数だけ優しくなれる」


そう信じなきゃやってられない。自分が優しい人間になりたいからそうやって自分の背中を押す。間違っても傷ついてきた事の多さをドヤって他者を傷つける事を正当化する為じゃない。


ただ、未来は変えられる。
だから、


傷ついた数だけ優しくなれると思っていた、でもそれが間違っていて、それを理由に俺は優しいんだと他人を叩く奴がいることも知っている。でも俺はこれまで傷ついた数だけ優しくなる。そうなろうとするとするのをやめないのは生きてるって事をそいつに懸けたんだ。そいつを嘘にしたくないからだよ。※8


そう言えばいい。


5.素朴な疑問※9


自分達の時には傷ついた数だけ優しくなれると言う。自分達は優しくて誠実だと言う。個人には好き嫌いがあって、それを尊重できると言う。なら何故それらを使ってそれらが好きではない、ないしは嫌いな人にまで送りつけてマウントを取る?オナネタを送りつけて嫌がらせをする?好きな作品じゃないのか?好きで好きでたまらないのに、何故それをする?作品へそれほどの愛を持ちながら、何故大切な作品を凶器に変える?※10


エロを個人の空間で楽しむ権利は当然ある。それは誰も否定できない。でも俺らオタクのエロはどう見ても(勿論例外ないとは言わない)女体の消費だ。紙とペン、ないしペイントソフトで描かれたものに、女体というエロを見出してきた。それは紛れもなく俺らの都合でしかない。俺ら男オタクの我儘勝手だ。だからこそ、それぞれを尊重した上で快適な空間でなければならない公共の場で、俺らの都合のエロを消費する事に正当性はない。


だからオタクを見ていて思う。


「君達は自分達が何を消費しているのかわかっているのか?」


と。わかっているはずだよな。なんたって「オタク」なんだから。
その上でもう一度訊きたい。


「俺ら男オタクのオナネタを、老若男女誰もが利用する公共の場でオナニーしないのに開陳しなきゃいけない必然性はなんだよ?」

 

でもきっと、わかってないだろうな…。あのTwitterで、俺は「何度そう言う事を言ってんじゃねぇ」って言ってもなおおんなじ絡み方をし続けてきたもんなぁ…。オタクを見てるとほんとに素朴な疑問が浮かんでくるよ。

 


オタクって、なんだっけ?

 

 

 


引用、元ネタ
※1:オセロ 樋口ナナ(やや) 
※2:銀牙伝説WEEDオリオン 真田入道雲
※3:やはり俺の青春ラブコメはまちがっている 平塚静
※4:ラーメンズ 不透明な会話
※5:生徒会の一存 紅葉知弦
※6:Black Lagoon ロック
※7:ハヤテのごとく! 三千院帝
※8:Black Lagoon タケナカ
※9:オセロ第4話
※10:頭文字D スパイラルゼロ 池田

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。思い出話。

お久しぶりです。

忘れてたわけじゃないです。パースワードは忘れてましたけど。気づけばもう今年も八月。あと二か月もないうちに友人の一周忌かぁと思いつつも時々忘れてしまっている気がして悲しくなる、そんな日々です。

書くネタがない…のではなくてインプットが足りないんです。

でもインプットする余裕がない。

Twitterでは「エロを公共空間でまき散らすのは違うでしょ?」と言えば「お前は自分がどれだけ幸せか認識した方がいい」とか言われたり。いや公共空間だから、と思いますが、僕は自分の周りの人々に恵まれていることに異存はありません。とはいえ小中と周りにいた同い年の子よりは集団から仲間外れにされることが多い子供でした。中学を学区外の学校にしたため、仲間外れとか。通学用自転車を壊されたこともあるし。というわけで、子供の頃を振り返りつつ書いていこうと思います。

当時よく遊んでいたもの。

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ご存知の方も多いと思います。二宮先生の紙飛行機。この本の後に出ていた胴体をバルサで作るモデルは簡単に作れてよく飛ぶ、いわば紙飛行機のスーパーカブでした。この写真は今手元にある物ですが、すでに全冊作った後再び購入した物なのであの頃の熱量って凄かったんだなぁ。ですがこの飛行機、さすがに5冊分も作るともっとリアルな飛行機が作りたい!となります。実は当時(今は販売元を変えてAmazonにあるようです)立体の紙飛行機が何冊か出版されていました。それがコレ

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アンドリュー・デュアーさんという方の紙飛行機です(写真の紙ヒコーキ博物館については複数人の合作)。ボディが立体、というよりまんまモノコック構造でしかも複葉機もゴロゴロ。複葉機の支柱の間は当然くりぬきってんだから、普通に今作っても難しいと思う。

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これらを毎日のように作っちゃ休日に父、姉と運動公園に飛ばしに行ってたのだからよく父も付き合ってくれたなぁ。というのと同時にこの飛行機たち、ノースロップ・タイガーや雷電というカッコイイから、COUZINET70アルカンシェールという綺麗な機体まで実在の機体が揃っていて姉も僕も楽しめたという。作るのに失敗したり、飛ばした飛行機を無くしたりもあったけど。

 

そして写真にある紙ヒコーキ博物館ではアンドリュー・デュアーさんの思い出も綴られています。そんな中のエピソード、デュアーさんのお父さんは第二次世界大戦中、イギリス軍のパイロットで、スピットファイアに乗っていた時の体験をよく聞かせられたんだとか。それでも、何機撃墜したかと聞くと「それは昔の事だから忘れましょう」と答えたそう。このエピソードを読んで、僕は別の本の一節を思い出しました。

 

むしろ一機も撃墜できないパイロットの方が多かったであろう。撃墜は一種の名人芸だ。

 

これは佐貫亦男のひとり言という本の一文。佐貫亦男さんは二次大戦時の(日本の)航空機のプロペラ開発者の一人。読者から、大戦時のドイツの撃墜王の撃墜数について、「撃墜数を信じるのか?そんなに撃墜できるならなぜドイツは負けたのですか?」という質問についての言葉です。僕の好きなエリア88にしろ艦これで取り上げられるような~隊とか~機とかにしろ、空戦や戦車戦のエースがカッコいい!ってのはわかるし僕もそうだけれども、戦争の戦績は戦場という環境で必死でいたらたまたま撃墜していたというものがほとんどで、兵士からすれば戦争だから、とはいえ銃なり機銃なりで攻撃しても、当たらなかった事に安堵する。そういうのが人間の感覚だと思います。それぐらいは普通に想像できない?今の現状はとてもそうは思えないけれども。

 

凄く浅く振り返ったけれども、考えてみると僕って小さい頃は戦闘機っていうミリタリー要素が自分の中では大きいんですよね。だから今の萌えキャラ×ミリタリー要素に食いついて零戦はすごかった日本軍凄かった特攻は~なんてのになっていてもおかしくはなかった。そうならなかったのは、飛行機への触れ方がエピソードが書かれたデュアーさんの飛行機だったり(当然二宮先生も大戦の経験者なので、戦闘機の紙飛行機が出てくるのは零戦とか僅かなものを除きかなり後)佐貫亦男さんの本であったり飛行機の図鑑であれ木村秀政先生が監修されたものだったり、というところだと思います。佐貫亦男さんの著作では、97式飛行艇の扱いでも大人向けの本ではスタイリングの良さを語られているけれども、子供向けの飛行機の歴史については戦前日本がフルフェザー式のプロペラの技術開発を怠ったため不時着した事例で扱っていたり。必要な事をすっ飛ばしたという認識がないとそっちの話をしてもスゴイ!で持ち上げて終わっちゃうのよ。

そしてそれは、ちゃんとした本を欲しいと子供が言った時に、それに対してそこに労力を惜しまなかった父と母のお陰なんだよなぁ。

 

 

 

 

そうそう、ペーパークラフトで思い出したけど、折り紙で雛人形を作るってのがあって、それは空襲で焼けてしまった7段飾の雛人形を折り紙で再現したものだったんだよなぁ…。姉がそれを欲しいと言って、母が出版社に問い合わせ。同時に僕が佐貫亦男さんの本を欲しいと言って父が出版社に問い合わせって事がありました。佐貫亦男さんの本は絶版になっていて手に入らなかったんだけど(その代わり絶版になってない佐貫亦男さんの本を複数買ってもらい)、姉の雛人形の方は、本の著者の1人に直接電話をして購入できたり。そういう姿勢を僕が出来るかと言われるとできない気がするけれど、そう意識は持てるようにしたいなぁ…。

Pioneers of Flight: Paper Airplanes That Really Fly! https://www.amazon.co.jp/dp/0794602150/ref=cm_sw_r_cp_tai_o72mFb4ZJ60JZ

新版 折りびな (福音館の単行本) https://www.amazon.co.jp/dp/4834027678/ref=cm_sw_r_cp_tai_912mFbHH1HGAP

 

久しぶりに紙飛行機でも作りますかね。それでは!

 

 

 

 

お久しぶりです。

お久しぶりです。本当に久しぶりの更新になってしまいました。

正直Twitter程度の文字数ならいけるけどブログとなると…な現状です。考える力が湧かない。まあ、ざっくばらんに流れるままに書きます。

 

今回の目的は更新する事なので。

 

年明けたらもう少しテーマに沿って書けるようにしていこうと思います。


8月にコミケ、貼り紙の件があってから最初でしたけれども、それはそれとしておいても、丸山穂高が来るのは構わないけどあんな投稿するのはいただけない。というか論外。自分が問題起こしてることの自覚すらない。それを持ち上げる一部オタクもいやはや…。あんなのを持ち上げる界隈を一般人から見れば、気持ち悪い、無礼、煩い、近寄りたくない、近寄ってくるなetc…でしかないのだけれど、

 

「俺のやりたいようにさせろ、表現の自由だろ!」

 

って言ってるのを見て、この界隈、もう修復無理じゃないかな。ポシャった後、どうやり直せばいいんだろう。と悶々としてました。

 

そんな中で本職の方が色々とあり、それプラス実家、親戚が千葉なのもあり台風で…。と立て続けでダウナー状態になってしまい。Twitterのフォロワーの方からも言葉をかけてもらいなんとか…となった次の週。

 

一番親しかった同期の友人が事故で亡くなり、そのお母さんから電話。

 

彼は専門が違い、それに対し僕含め彼とつるんでいた面々は専攻が僕と同じだったため、通夜含めその連絡を回す役目に。二度としたくない。

 

連絡を回した同期に、震災で彼女を亡くし、周りの僕らが「あいつずっと一人のつもりなのかなぁ」と少し心配していた(余計なおせっかい)のがいるのですが、そんな彼がにも今年相手ができて、「(忘れたわけではない、忘れないけれど)弔いあげとさせていただこうかと」と言っていた矢先の出来事に。

 

「…勘弁してくれよ」

 

という言葉は一生忘れられない。

 

とまぁそんなストレスからか気づけば帯状疱疹になってました。痛いねアレ。

 

そして二度めの台風、被災地の放置、ホームレスの排除、雑誌の「子供は戦場に送り出す覚悟で」なんて記事。

そんな中本職がトラブり、というか労基違反じゃないの?と言うことをされ…。

 

どうよく見積もっても最悪だわ、今年。

 

そんなだろうが税金は税金で働いた分取られるわけで、ボロボロでも働いてるから引かれ、どっかのバカは飲み会に前夜祭やって税金で宴会。今年も慣例より倍以上だけど来年は3倍くらいで、みたいな事をやってる。なんなんだろう。この狂った世界は。と思います。


挨拶なげえな。まぁテーマ設定しても書けないからなぁ。献血ポスター含めその関連について思ったこととかでもすこし。あとは思ったことをだらだらと。すんません。


正直に言って、宇崎ちゃんの件についてはこう言う見方でとか書く気はさらさらありません。それがド直球のセクハラそのものという気もありません。まあそこに関しては専門、というか詳しい方がいっぱい記事を書いていらっしゃいますので。ぶっちゃけると僕は専門…含め趣味のイラスト除いて関わってきた物が全く違うということもあるので。ただ、僕自身は彼女いない歴=年齢の現在進行形でエロゲ含め萌えキャラを楽しんでいる1人の人間です。


今萌キャラを楽しんでいると書いたけれど、本当にキャラ、なんですよね。

そこが物語か?と言われるとかなり怪しい。もう15年は前になろうかという2ちゃんのエロゲ制作に関わった人の話とか読んでいた時期があったんですが、その中でさえヒロインは全員うんたら、Hは必ずうんたら、なんて描写がある中、11年以降になってもそれは変わらず挙句髪がなんとかのキャラは…とか聞く状態ってなんなん?それでその世界脱皮できるん?と思ったりします。正直言ってそりゃソースにならんような話ですよ。でもそんな空気って自分感じない…わけじゃない。


大手書店の漫画コーナーに行けば、Twitterなんかの連載の単行本なんかが溢れていて、某有名エロゲはもう10年経つのに同じタイトル名つけて引っ張っていて、おんなじ構図でキャラだけ変わって下着見るのがパート2、アニメ化!ってなんなんだろう。はっきり明文化しろと言われるときついけど、これって、時代の中で残って愛され続ける作品…とはちがうよな。


そりゃ僕だってエロは見ます。僕だって、親の職業の関係で、家で使えるパソコンはLINUXのメモリ1G、マルチドライブなんてついてないノートで、別のさらに型落ちのドライブ付きのLINUXパソコンでエロゲデータだけ吸い出し、仮想Windowsで必死になってエロゲプレイしたもんです。中にはどうやってもできないのもいて、ガックリしたこともあります。WindowsのPCを手に入れたときは、

 

「やった!これでoffice使える!ソフトもサクサク動く!互換性気にしないでエロゲできるぞ!」

 

と思ったもんです。

でも別に周りもそうやって見るべきだ!と言わんでしょう。それはたまたま僕の環境がそうだっただけ。それはただの偶然。それだけです。

 

でも見る場所は選ぶよな。小さい画面で持ち運んだ先でやってもいいよ。でも他人がいたら最低限イヤホンかヘッドホンだよな。まあそこは細かく言う話ではなくて、自分たちの境遇と一般人として必要な公の場での最低限良識を持った振る舞い、ごっちゃになってるなぁと某区議周辺を見てて思いました。10人の読者のうち9人は理解してくれない、なんて言われますが、僕だったらあんな引用されたらたまんねぇなぁ。

 

大分前になってはしまいましたが、僕は車好きなため、エロ関連を道交法と保安基準に例えてたりするんですが、まぁなんというかです。

仮にエロがスポーツカーのような車だったとして、当然スポーツカーは制限速度以上でスポーツ走行できます。だけれどもそれは公道でやっちゃいけない。やるならサーキット行けと。

 

サーキット=プライベート

公道=公共の場

 

であって、じゃあアキバの表通りは?って言ったら後者だよな。どう見ても。となるはずなのに、気づけば「ヘイトスピーチ表現の自由」ってなんやねんと。

前出のたとえを出すなら、基準内容は違えどもサーキットと公道、どっちにも必要な基準があります。

 

安全基準。

 

これはサーキットと公道では大きく違ってきますが、最低限共通するものとして、(公道は対人、対物等増えるが)車に乗っている人命を守るためのものであるという要素があります。

これを守らないと、人命が脅かされる(その領域が大きく広がってしまう)。

ヘイトスピーチも完全とは言わずともある程度は同じように取れるはずです。

対象とされる側の精神的、肉体的安全が脅かされる。

何が何でもやりたいなら、私有地でやれと。

だけど、私有地の農地で軽トラをオープンカーにしてる農家のおじいさんたちと同じようにそれが違法だって認識してやれよ。そこから絶対に出すな。と。

まぁ、私有地だろうがそういう思想なら僕は軽蔑しますが。

 

・・・・いや、書いてて中身ないなぁって思いますね。

だってTwitterで何回も言ったもん同じこと。

差別の自由?ふざけるなよ最低の最低限心の中だけにしとけ。

エロ?いいんじゃない。俺も楽しむよ一人もしくは理解のある人との空間で。表通りじゃやらねーよ。

 

140文字もいらねぇよ。それで終わるんだから。と思います。

 

それを言ってるだけなんだけどむやみやたらとTwitterで絡まれて困る。

あとは一言がそれなら全部それと思うみたいだし。

エロが表通りでダメなら漫画もアニメも全部だめだ歴史的美術品だけですねって絡まれたんだけど、絡んだツイートの忍者武芸帳って漫画なんだけどね。

夏みたいに悶々とするだけじゃだめだけど、どうやったらこの「オタク」な界隈。こわれないで続いていけますかね?

 

書いててホント酷い文だな。見せられないですよ。

書いてるときだけじゃなくて、仕事の後、ふっと気が緩んだ瞬間。君の顔、背中、声。

全部浮かびます。

「いない日々に慣れていくしかない。でも忘れないでいることも大事」

というのはわかってる。でも忘れられそうにない。

仕事でメンタル壊して電話口で泣いたこと。

最初で最後になってしまったお互いの車で一緒に走ったこと。

初めてのコミケは君と行ったこと。

金がなくて、五反田のホテルでダブルベッドに一緒に寝たこと。

コミケの初めてのサークル参加も君と。

東京駅からビッグサイトまで歩いたこと。人気のない勝鬨橋を渡った時に見た背中。

帰りにアキバで飯食ったこと。

今年の正月一発目の一言は、

 

「(コミケの張り紙は)あれはやっちゃダメだろ。あれは。で、お前の心のほうは大丈夫なのか?」

 

と。

 

 ポスターや看板のあれやこれ。議員や漫画家やイラストレーターのあれやこれ。

壊れていく界隈にあきらめのようなものを感じるし、それは悪化するばかりで。

正直壊れるからそのあとをどうするかって思ってたけど。

こうなってしまうとその界隈は君といた場所なのでなくしたくはない。

でもきっとこう思う前も誰かにとってそういう場所だったんだろう。と。

本当に都合のいいこと言ってるよなって思います。半年前まで諦観だったから。

でも、やっぱりね。

 

 今までありがとう。

 

 

 

 

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プライベートな話になりすぎてすいません。

でも、いやぁ…駄目だなぁ。書けないな。

自分の中で大きすぎました。本当に。そんなに自分の中でそんなに大きさを占めてたのかって。

いなくなってから本当の大事さを知るってのはよく聞くありふれた表現だけれど。

いやがらせとか、ものを壊されたりとか、そんな時期からやっと抜け出した先でできた友達でした。

僕は死後の世界とか信じてません。死んだら無になると思ってます。でも、その世界があって逢えるなら…と思わなくもありません。

残された僕らの中で、「最後まで残りたくはないけれど、後に残してしまうのは申し訳ない」という空気が何となくあります。そんな仲間を持てたという意味で僕は幸せでしょう。でも…です。

1月に、亡くなった彼含め僕はこう言ったような記憶があります。

「去年は色々ありすぎた。今年はせめて穏やかであってほしいんだよなぁ」

と。

フラグなんて揶揄されたりしますが、ふざけんな、です。

来年、来年こそはせめて穏やかであってほしい。そう、切に願います。

 

 

ESPのバンドリ!シグネチャーモデルはギターへの冒涜だと思う。

 

 

はじめまして。

いきなり最初の記事で長くて分りにくくてめんどくさい記事になりそうだけれど、

まあ、ほぼこれ書くために始めたようなものなので。

書いていきます。

 

 

本題の前に。

 

まずいきなりギターと所謂オタク趣味な話なのだけれども、公正中立に語るのは無理としても、「どっちの人間だから」なんて言われたくはないので書いておきますが、僕の担当楽器はベースで、ギターとベースそれぞれ1本ずつ所有していて、趣味の範囲で楽器を楽しむ人間であると同時に、タイトルにある通り今流行のバンドリ!もプレイしていますし、コミティアサンクリコミケ等にも一般、サークル両方とも参加したりしているオタクでもあります。下写真が僕のものです。

 

 ギター、ベースはオタグッズになるのか

 

内容としては、ESPのバンドリ!シグネチャーモデルのギター、ベースの値段が高すぎる、その売り方はどうなの?という話です。

 

僕は実家から家に戻るときは基本的に御茶ノ水、および神保町に寄っているのですけれど、神保町は当然本の街ですが、御茶ノ水駅前から、三省堂本店前までの通りは楽器店が数多く立ち並ぶ場所でもあります。

当然今回のテーマになるESP(Electric Sound Products)も此処に3店舗ほどあります。ESPと言えばギターをやっている人にとっては凄くメジャーで、すごく華やかなメーカーであると同時に、黒い噂もあって、オーダー品の質が云々とか言われることもあるらしいけど、自分はESPにオーダーしたわけでも、そこのクラフトマンだったわけでもないので何も言いません。

 

で、まあこのESPがバンドリ!とコラボして、Roselia, Poppin'Party,最近ではRAISE A SUILEN(以下RAS)のシグネチャーモデルが販売されているのだけれど、RASは異なる側面があるとしても、RoseliaとPoppin'PartyのモデルのESPの販売方法はひどい。というより、正直に言ってユーザーを舐め切っている、もっと言えばギター、ベースという楽器を冒涜していると思います。

 

ここで筋違いに絡まれたくはないので書いておきますが、3バンドの使用楽器を”楽器として”質が悪いとか音が酷いとか言う訳では決してないし、実際に活動してる彼女達(声優の方々)がその楽器を使用することについては文句を言う気は全くありません。(バンドリ!をリリースした会社側に、”なんでそのメーカーのその楽器でやろうと思ったの?”というところはありますが。)

 

さらに、僕はESPの楽器は個人的にCOB(Children of Bodom)のベーシストに憧れたこともある身として、楽器として良いものであることは同意です。

と同時に、今回のバンドリ!シグネチャーモデルの値段が、ESPの他のギターと比較して、”ESPが出すESPブランドのギターとしは、値段は妥当である”とも思っています。(ESPのギターが高すぎるとは思うけど)

 

では何が問題かということになるわけだけど、ここで説明のためにRASモデルを除く各モデルの値段を見ていきます。(RASモデルはシグネチャーモデルとしてESPが販売をしているけれど、製造メーカーはギターがStrandberg,ベースがSpector)

注:ギター、ベースが店頭での販売価格は、おおよそメーカーの希望小売価格の8割+消費税になるので、今回はそれで表記します。

まずはRoselia

ギター

 M-Ⅱ Roselia SAYO   \516,672

 M-Ⅱ SAYO Ⅱ    \516,672

 M-Ⅱ SAYO Ⅱ FR      \535,680

ベース

 BTL Roselia RISA      \482,112

 BTL RISA Ⅱ    \516,672

 

続いてPoppin'Party

ギター(戸山香澄)

 RANDOM STAR Kasumi               \423,360

 RANDOM STAR Kasumi LED       \596,160

  RANDOM STAR Kasumi Ⅲ          \440,640

 RANDOM STAR Kasumi Ⅲ LED   \613,440

ギター(花園たえ)

 SNAPPER Tae                          \388,800

 SNAPPER Tae Ⅱ FR     \388,800

ベース

 VIPER BASS Rimi                   \380,160

 VIPER BASS Rimi Ⅱ    \423,360

 

一番安いものでも38万円。高くなると60万越え。

いくら商品として高くなりやすい楽器とはいえ、これはコラボグッズとして出す値段か?と会社側(バンドリ!側)は思わなかったのか?

思わなかったんでしょうね。

此処でこれが高すぎる!とだけ書いてしまうと、「切り取りだ!」と言われてしまうので触れなかった方も書きます。

Twitterでは文字数制限の関係上触れなかったのだけれど、これらのシグネチャーモデルには廉価版が存在します。

こちらもRoseliaから

 ギター

  M-Ⅱ SAYO    \58,752

 ベース

  BTR RISA      \58,752

Poppin'Party

  ギター(戸山香澄)

  RANDOM STAR Kasumi    \58,752

  ギター(花園たえ)

  SNAPPER TAe        \58,752

  ベース

  VIPER BASS Rimi    \58,752

だいぶ、というか、か~なり下がりました。ものによっては1/10以下です。これならギター、ベースが楽器というものである以上、他のグッズと比較して高くなりやすいことを考えれば(過去に抱き枕で10万があった事も考え)コラボグッズとしてはありかもしれません。

 

下のモデルだけならまだ書かなかった

 

そしてギターの上と下で何が違うのか?

ほぼ全部違います。木材も、電装品も、金属部品もです。

SAYOモデルを例にとれば、上位モデルではフレイムメイプルトップ、つまりある程度の厚さ(5㎜~)虎目のメイプル材が使われているけれど、下位ではベニヤ。ベニヤと言っても一般に想像されるものではなく所謂見栄えを良くするための“突板”であって、厚さは0.5~0.8㎜。要は名前が同じでぱっと見は同じ感じ、の別物商品。

でもこれはギターの価格を考えれば当然です。当然5万台のギターはギターの中じゃ安物で、実際に活動してる彼女たちは当然上位モデルを使っていて、“おんなじのが欲しければ50万のを買ってね”ということです。

 

からしてみれば、楽器であろうとそういったコラボグッズは5万ですら高いし、オタクの金目当て丸出しの商売だなとは思うけれど、5万のほうだけならまだそこまで無理のある価格ではないし、記念みたいな感じでまぁいいんじゃないの?と思います。そしてギターの中で5万という価格帯の物であれば、本当に安い“とりあえず始める”というギターに比べれば、“楽器として”使えるレベルではあるため、音楽の裾野を広げるという役割を担えないこともないかな?と思えるわけです。

 

ESPというメーカーは価格帯がないわけじゃない。

 

前項目で下の価格帯だけなら記事は書いてないと言ったけれど、じゃあなんで上が加わっちゃダメなのか?

いや別にいいんですよ。上の価格帯があるのは。最初に書いたように、ESPのシグネチャーモデルの中で50万は、すごぉ~く高いわけじゃない。そうそう、忘れていたけれどESPの超有名ギターと言えばアルフィー高見沢俊彦モデル。あれはもうものすごくて、ものによっちゃ600万くらい。彼のギターを引き合いに出したからと言って、50万が安いなんてことにはならないけど、まあバンドリ!モデルは飛び抜けて高いわけじゃないってことです。

 

問題はその間です。50万のギターと5万台のギターその価格差は40万以上あります。

 

その間の価格帯のギターはないのか?そんなことありませんよね。

 

ちなみにですが、バンドリ!にでてくる、ハローハッピーワールド、通称ハロハピでメンバーが使ってるギター、ベースはグレッチのホワイトファルコンが大体40万。リッケンバッカー4003が30万程度です。(ただし、シグネチャーモデルではありません。)

 

話はそれましたがESPの場合、ESPは傘下に複数のブランドが存在します。

grass roots:約4~7万(ESPブランドエントリークラス)

Edwards:約8~20万(20万前後はホロウ(中が空洞)構造のモデル、一部シグネチャーデルは30万台まである。メインは8~15万。)

LTD:8~20万(元はEdwardsの価格帯のモデルをアメリカで展開しており、基本的ESPオリジナルモデルを基にしたラインナップ)

E-Ⅱ:約20万~(アメリカ市場向け)

ESP:オーダー品、シグネチャーモデルメインの最高位ブランド。10万程度のものも存在はするけれど、メインとしては30後半~60万で、天井はない。

 

別でkillerなんてのもあるけどそれはそれ。ちなみにE-Ⅱは最近できたブランドです。

 

上記5つのブランドのうち、主にアメリカ市場向けとして製造しているLTD、E-Ⅱは別としても、少なくともESPはバンドリ!モデルの上と下の間のモデルを製造、販売できる力と販売場所、ブランドを持っています。

 

そして価格をみれば一発だけれども、上は当然ESPブランドだし、ブランドロゴは入ってないけど下はgrass rootsのブランド。バンドリ!のメインのプレーヤー層を考えれば、初めての一本は安い方でいいけど、ステップアップでいきなり50万?買えないよ?って。“そこからギターをちゃんとやりたい”オタクに応えられるものだとは思えません。そしてESPのアーティストシグネチャーモデルの多くにはgrass roots, Edwards, ESPの3ブランドで販売されています。ステップアップできなくなるのがわかっていてゲームとのコラボでその価格帯を抜く理由は?というわけです。

 

さらに蛇足ですが、学生の時に自分のお金でベースを買った身から言わせてもらえば、最初の一本であっても正直ESPで言うならEdwardsブランドを買ってほしい。確かに楽器としても初めてとしては少しきついけれど、“最初の一本を愛着持ってずっと使う(他のギターを買っても)”のであれば、その材のグレードは特別高くないにせよしっかりしており、電装品、金属部品の精度が安定したものになるのもその価格帯のモデルからだと思います。そして僕自身の気持ちとして書いたけれど、それが割とギターをやる人たちの中で標準的な感覚であるという事も付け加えておきます。だからこそ、ユーザーにちゃんと向き合うなら、一番出すべき価格帯のものをなんで出さないのか?と言いたいのです。

 

企業である以上、リスク回避は必要だけど、そのやり方は外道だと思う。

 

僕は中価格帯のモデルを抜いた時点で、“舐めてるな”とは思いますが、それでも百歩譲って舐めてないとしても、売り方が酷い。これは僕自身、御茶ノ水にある店舗に何度も行って確認しています。

 

少なくとも(他のアーティストシグネチャーモデルについては店頭在庫の有無の関係があるため)バンドリ!モデルに関しては完全に受注生産で店頭に展示されているモデルは、ユーザーへの引き渡しが確定している商品のため、触れたりすることはできません。

 

ちょっと待てよと。コラボグッズかもしれないけどギターって楽器だよな?弾かずに買え?馬鹿にするにもほどがあるんじゃないか?と僕は思いますが、オタクの皆さんはどうなのか。自分一人のためのオーダーメイド品を作るなら完成まで弾けないのはもうしょうがないというよりそれは当然だけれども、そうじゃないよな、このモデルは、と。

 

少なくとも50万という値段のギターは、プロの人が使うような楽器で、そんな人たちはそのギターを弾かずに買うだろうか?

 

そんなことないですよね?少なくとも、最低限の“試奏用の楽器を用意する事ができるのにやっていない”というのは、つまるところ、

 

「このモデル買うような奴は音なんかわかりゃしないし、キャラが使ってるのと同じものならそれでいいんだから、俺らの言った値段で金払え」

 

と言っているのとおなじです。

 

補足しておきますが、楽器店は基本的にどのギターも商品である以上、試奏可です。

 

憧れて店に来た初心者の人からすれば、50万のギターを手に取るのに腰が引けてってのは理解できるけど、それはあくまで、“買う側”の人間の話であって、店側の話ではないし、何より5万のモデルまで、触れもしない、挙句受注生産で納期数か月ってなんだよ?ふざけてるのか?と思わない方がおかしい。

 

ここでESPの立場になって考えてみれば、推測ですが、その界隈にたまたまずっといた人間から見て、最近はそうでもないけれど界隈の中にはアニメやゲームの音楽はロックじゃない!みたいのがあるにはあって、そういうところからすると、“アニメのシグネチャーモデルなんかギターじゃない”みたいになり、生産本数を間違えれば損害を出しかねない。だからこそ需要の数ぴったりにするために受注生産の形になったのではないかと。企業としてリスクを避けるのは当然だと思うけれど、売ってるものって楽器だよね?

そんなユーザーを馬鹿にするような売り方するならやるなよ。と。

もっと言わせててもらうなら、ESPのHPにはこんなことが書いてあるわけですが、言ってることとやってることのこの二枚舌は何なんだ。バンドリ!という萌えとコラボして目先の金稼げればそれでいいからそういうことを平気でできるんじゃないのか?としか思えません。HPの記述を引用します。

 

~略~

お客様ひとりひとりの想いを叶える努力を惜しまないこと。

有名ミュージシャンだから一般のお客様だから、という差別を一切しないこと・・・。

~中略~

これからも、ESPは、弾きたいギターを決めるのは、ひとりひとりのお客様であるというポリシーに基づいて、

どんなに難しい注文にも、最高の技術をもって応えていきます。

ギター弾きの魂を宿したESPのギターを愛するミュージシャンは、世界中にあふれているのですから。

https://espguitars.jp/instrument/

 

ポリシーは建前の間違いじゃないのか。

 

僕はそういうギターをポンポン買っていくオタクをまともだとは思わないし、(店員によれば全モデルを買っていった奴がいるそうな。手が3対あるわけじゃあるまいし。)そうやって金使って公式に貢ぐのが正義だ、なんて昨今のオタク界隈は大っ嫌いだけど、この楽器の出し方、売り方にはホントに頭にきてます。

 

後、行けばわかるんだけど、ゲームの月額課金と大きな差じゃない、とか言って分割ローンになるんだよな。その結果だとは思わないけど買っていくメイン層は十代後半から二十代前半の学生だそうな。アコギなのも大概にしてほしい。

 

楽器に失礼だよ。っていうか、木を切り倒して楽器作っといてそんなやり方するかよ!って。

 

書いててキレそう。

 

カートは言った。「ギターは死んだ木」。なら俺らが殺してるんだよな。

 

上は有名な言葉ですね。

 

ニルヴァーナカート・コバーンの「あなたにとってギターとは?」という問いに対する答え。

 

それが正しいか間違っているかは別として、バンドリ!モデルも含め、多くのギターが木で作られていることは事実。

 

ちょっと横道にそれないと血管切れちゃいそうなのでそれますが、一応そうじゃないものも少数ながら存在していてARISTIDESというメーカーのベースはアリウムという人工素材でネックとボディを一体成型で作っているんだそうです(ただし指板は木材)。

その他にもアレとかこれとか色々と…。ネックだけ、ボディだけ金属とかカーボンとか。

 

閑話休題

 

当然のことながら、ギターの木材もだんだん枯渇状況になってきており、新素材、もしくは今までとは違う木材等で各ギターメーカーも生き残りを模索しています。

 

そして今から2年ほど前、ワシントン条約が改訂され、ギターの指板材として使用されているローズウッド全種に、規制(取引の禁止ではない)がかけられることになりました。

 

一度に全部は横暴だ、なんて声もあったわけだけだけれども、どちらにせよ現状のまま行けば枯渇するのは当然で、今のうちから何かしておかなければいけないことは必至。ギター業界の占める使用割合は全体に比して少ないとはいえ、取り組まなくてよいというわけではありません。国内某メーカーは「I国とC国による爆買いが原因」なんて言ってたけれど。何を偉そうに思わせぶりに名前伏せてるつもりになって言っているのか。

まあ中国とインドネシアなんだろうけども、御社のギターラインナップの大半、海外委託のOEM生産でしたよね。中国かインドネシアの。わざわざいったん日本に運び込んで、日本の購入分として、なんてやってるわけではありますまい。

 

さて本題のバンドリ!モデルからは少し離れましたが、とりあえず各モデルの指板材を見てみましょう。

 

羅列するほどもないので一気に書きます。

 

ESPのRoselia SAYOモデルを除き全てローズウッド。SAYOモデルに至ってはエボニー(黒檀)。

 

もはやエボニーに至ってはローズウッドより枯渇状態。これはESPが悪いわけではないけれど、エボニーに至っては、不法伐採材の使用と絡んで、米国大手ギターメーカーのギブソンが2011年にFBIに立入り捜査されており、ローズウッド以上に使用が厳しい状態。

 

希少だから特別というわけではないとはいえ、そんなものを使ったギターを目先の金欲しさにオタクどもに試奏もさせずにポンポン売って…そういうことやるか?と言いたくなる。だから本来は買う側も怒るべきなんですよ。ちゃんと弾かせろ、金づるだと思って舐めんな。ほんとに“そのギター”が欲しいから買うんだって。

 

過去にまともなモデルはあった。

 

さて最初から思いっきり酷評してるESPだけれども、コラボという側面で見たときに、まともなモデルがあった。という事も触れておきます。

知っている人は知っていると思いますが、過去にOverdriveというエロゲメーカーから出たキラ☆キラというエロゲとのコラボギター。

ギターとは言え一応全年齢向けに出すものが18禁のエロ作品と…という問題はあるわけですけれど、それは脇において。

 

大分前のものなので詳しく記憶はしていないのですが、このギターは価格帯としてはギリギリEdwards(発売時)で、その価格帯モデルのみの販売でした。

 

当時grass rootsは3万円台が割と多く、そこにダンカンピックアップ

を乗せて4万5000円くらいなんてのが多くありました。

 

Overdriveの代表がバンドマンという事もあり、“しっかりしたモノで、手が届く価格にしたい”といってそうなったんだとか。まあ、ゲーム自体の内容も、高校生が学祭でバンド組んで~から始まる話ではあるし、作中ギターにはマッチしてていいよなぁと思えます。ただ、いかんせんその当時はコラボ自体が少ないものではあったし、相手がエロゲなこともあって、最初から本数でないことがある程度予測できたから受注生産でもその価格帯モデルのみを出せたんだろうなぁと思います。ただ、試奏はできない感じなあたりため息、というかやっぱり昔から舐めてんな、と思いはするけれど。

 

ぶっちゃけて言ってしまえば、バンドリ!も中身バンドをやる女子高生の話で、楽器を自分で買わなきゃいけなかった人間からすれば、「そんな楽器使ってる女子高生いねーし都合よく手に入るか!」って思うけどそれは二次と三次一緒にするなって言われるんだろうなぁ。

 

でも正直なところ、その都合のいい世界観の中で、内輪だけで楽しむのはいいけど、他コンテンツと合わさっていこうと考えるなら、他コンテンツ内での価値観とかもわかったうえで折り合いをつけていくようにしてほしいよなぁと思うんですよね。

 

ギターが好きで自分でバンド組んでやってきた人たちは、なけなしのお金つかんで、自分の望むギターを探してきたわけで。確かに買うのは君だけれども、そういうところにやってきて、萌えキャラとのコラボ商品のン十万のギターをローンでポンポン弾きもせずに(店側も悪いが)買っていったらそりゃ疎まれるよなぁって。

 

個性的なギターで売りたいならESPにこだわる必要はない。

 

なんででしょうねぇ…とぶん投げてもいいんですが、自分なりの見解を書いておきます。

日本のギターメーカーがESPしかないから…というわけでは決してありません。

大手どころでも、

フジゲン

ディバイザー(複数ブランド有)

東海楽器

寺田楽器(専らOEM専門)

 

これに割と小さな工房系ギターメーカーを加えるとかなりの数があります。

 

恐らく、というかESPと組んだのは、ほぼエンドースメントが理由だと思います。

 

別にインパクトがある変わった楽器がいいならBCリッチでもDEANでも使えばいいじゃん。

ESP側は声優ユニット側に対し、使用楽器を制作し貸与もしくは譲渡する。言ってしまえば、上記の大手ブランドやその他工房系ブランドは基本的にアーティストであれ、ギターについては、購入をすることが条件になるわけで、その他の費用等を考えてコケてしまったら損害は大変。というところでしょう。ESPはギターにかかわるものはほぼ扱っているわけで、その他の機材も何とかなると思われます。事実渋谷のESPのショップにおいては、バンドの使用するアンプ、エフェクター一式展示されてます。

 

エンドースメントするのはいいけれど、貸与、譲渡だけでは利益は…というところ、アーティストが本人が使用する個体であれ、制作に人件費等々かかるわけで、それをどこでとるか、と言えば、一般向けのシグネチャーモデル、という話。そう言われて「つまり俺たちがギターを買ってコンテンツを支えてるんだ!」なんて言うのなら、奴隷の鎖自慢も大概にしてほしい。“ギターは楽器”なんだ。ほかのやり方でやってほしい。

 

まとめて言えば

 

本当はまだまだ書き足りないけれど、これ以上散文書いてもしょうがないのでまとめます。

 

バンドリ!を見ていて思うけれども確かにやってる声優さんたちはすごいし本当に尊敬に値しますよ。ホントに。でもその裏にある企業としてのやり方はどうか。確かに会社は利益を出さなければいけないけれど、そのやり方はアコギというより楽器を作っているメーカーとしてとってはいけない姿勢ではないのか。そしてそれを買っているオタク側も金づるとしか思われてない現状で、それがコンテンツが発展する状態なのか。目先の金にとらわれた焼き畑農業でいいのかという事は考えていただきたいです。

 

そして、余裕があるのなら、ちょっとギターの事も考えてほしい。

 

確かに、バンドリ!のギターはオタクグッズ的側面が強いけれども、“ギターは木”です。消費して終わりにするのではなく、環境問題にも向き合ってほしい。今後仮にバンドものが流行って、そういうギターばかりで、ワーッと買って行ったらどうなるか。全体に比して少ないとは言うけれど、オタクの総数は増えてきて入ることを考えれば、木は絶滅する。

どんなものもすべてそうだ!バンドマンこそ向き合うべきだ!と言われてしまったら言い返せないけれど、

木の命を貰ってまで作るようなオタクグッズで良いのか?

それをコンテンツを支えると言って買うのは正しいのか?

という事は考えてほしいと思います。

では、また次回。

はじめに

ブログを始めることにしました。

一番最初なのであいさつを。

基本的に趣味から派生する話題について色々と書く予定です。

内容として

漫画、ゲーム(エロゲ中心)

同人誌、その他イラスト、イベント

楽器(ギター、ベース)

車、飛行機

等についてです。